“クルージングはのんびり楽しむ”。それが〈MIHO〉太田武弘さんのスタイルです。

「航海することは冒険じゃありません。行く先々の港での出会いを楽しみに旅を続けています」太田さんは、1997年にヨットで本州一周を果たし、1999年には南西諸島を航海、そして昨年の夏に北海道一周を終え、日本をまるまる一周しました。しかし、太田さんには、出港する前も日本一周を達成したあとも、難業を成し遂げたような気負いはありません。

「行き当たりばったりで、新たな出会いを楽しみにしています」発見を楽しむのもゆとりを持った旅であればこそなのでしょう。太田さんは、2000年7月から10月にかけて、日本一周の最終航程である北海道一周航海を果たしました。ここで紹介するものは、太田さんが航海中、克明に記録した航海記です。

 
太田武弘さんプロフィール
年 齢:58歳
艇 名・艇種:〈MIHO〉(エタップ38i)
母 港:千葉銚子マリーナ
航海歴:
97年5月に千葉保田港を出港し約5カ月で本州一周。
99年に南西諸島、2000年夏に北海道一周を果たす。
航海経験を積み世界一周をするのが目標。
 


お世話になりましたと頭を下げると「気をつけて」と言ってくれる。
この言葉が何よりも好きだ


 7月25日。北海道へ向けて出港する。晴天。風は追手で10m〜12m。ウネリ(波高) が1.5mある。順風満帆で初日スタートである。銚子沖を大回りし、本船と行き違った時大きな船が〈MIHO〉のために大きく変針してくれた。胸にグッとくるものがある。 すれ違う時大きく手を振りあいさつをした。

 
午後より雨の予報だったが少し降っただけですぐ止んだ。大洗マリーナに着くと、2000年の春に沖縄の石垣島で一緒になった安田さん夫妻がすぐ来て大洗の町を案内してくれた。近くの魚市場に行ったら魚も安いし、また隣の回転寿司も安くてうまい。

 
翌日に大洗を出港。ケンケンを流したらイナダ(ブリの子供)がヒットした。3匹をすぐ刺身にしたら、お皿がいっぱいになってしまう。冷蔵庫に入れ、再び流すとすぐにまた釣れた。あとで釣れたイナダは腹開きにして塩漬けにし、これも冷蔵庫へ。  雨が降ったり止んだりしたが、深井さんからいただいた新品のドジャーのおかげで濡れることなくいわきマリーナに到着する。ビジター係留の手続きを済ませ、ひとりで刺身で乾杯! 最高だ。体も慣れてきたので、これから先は漁港の係留としよう。

  翌日、梅雨の様な前線があるので、雨は降ってないがどんよりした天気である。海岸線の近くを走り景色を見たりテレビドラマを見ながらケンケンを流す。向かい風5 〜7m/s。太陽が午前9時ごろより出てきた。やはり太陽はありがたい。今日の航路には原発が多い。原発の前は刺し網も多く魚も釣れるが安心できない。午後4時に相馬港が見えてきた。

 7月28日。午前4時30分起床。港では10人以上の人がもう仕事をはじめている。食事の後片付けを済ませ、出航準備をしていると皆が話し掛けてきた。気がついたらもう6時である。お世話になりましたと頭を下げると「気をつけて」と言ってくれる。この言葉が何よりも好きだ。  出航後すぐ真綿をかぶったような霧に包まれる。視界30m位に見える。GPJ・レーダ ー・オートパイロットのリモコンを駆使し6ノットで進む。途中スピードメーターの手動補正を行う。

 鮎川港へ到着。捕鯨船が展示されている大きな港だ。日本で4カ所沿岸捕鯨が許されているうちの1つである。本州一周の時知り合った捕鯨会社の社長より鯨の刺身を1 ブロックいただいた。15cm角、長さ40cm位のものである。とりあえず冷蔵庫にしまっ た。

 翌日、4時に起床、5時出発する。金華山の上に太陽、下は霧。海面に太陽が映りこちらに向って伸びている。きれいだ。鮎川港を出て金華山の北側をまわって太平洋に 出る。
 波なし、風なしただひたすら霧の中最大限の注意を払いながら北に向う。三陸沿岸は今の時期は霧が出るとのことである。広田港に入ろうとしたが、長部港の方が町が大きそうなので変更する。  刺身のことを思いだし、以前世話になった佐藤さんに電話した。すぐに奥さんと一 緒に家に来い、ということになり、また宿浦の家の前まで回航した。
 
現在の家は自分で建てたという佐藤さんの自宅前。宿浦港にて
 夜、鯨の刺身を食べたらすごく旨かった。佐藤さんという方は、自作ヨット〈天天 丸〉を4年かかって作り日本一周を達成し、唐桑が気に入り住み付き、現在の家は自分ひとりで建てたという。佐藤さんにもう1日泊めさせていただいた。

  7月31日。宿浦を出航。佐藤さんが一緒に来ることになった。すごいガス(霧)だが、自分の庭のような海域なので佐藤さんにラットを握ってもらった。楽である。太平洋に出たらガスが晴れてきた。


 三陸沖はJジキのツキンボ漁をする場所。以前に高知の漁師の方に作ってもらった仕掛けでトッピングリフトを使いマストトップより流した。大きなのが掛かったらヨットは大丈夫だろうかと冗談を言いながら風向、風速計が変なのでメーカーに電話したら基板が壊れているとのことである。宮古に着いてから送ることにした。

 

10数頭のイルカがめずらしいことに1箇所に集まり背ビレ尾ビレを見せていた

 翌日、宮古を出航。快晴。景色がきれいである。きょうも佐藤さんがラットを握ってくれるので楽である。何もすることがないのでキャビンで昼寝(朝寝かな)をしながら過ごす。

 午後1時に久慈港到着。一番奥右側のタグボートに横着けする。佐藤さんは久慈を過ぎ北上したら、唐桑に帰るのが大変になるからと3時頃に帰った。

 ひとりで航海していると張り詰めた気持ちでいるのだが他の人が同乗すると、その気持ちが無くなってしまい、そしてその人が降りてしまうと明日がすごく不安になる 。単独だったら単独、ダブルだったらずっとダブルが良い。そんなところに妻から電話があり、函館から来るからとのこと。うれしいような嫌なような変な気持ちである 。

 8月2日。5時40分出航。久慈から八戸へ向かう。昨晩パソコンが動かなくなり、12 時過ぎまで努力したが駄目だった。函館で専門に見てもらうつもりだ。朝食を取らず 、寝不足のまま出航。  マストトップからカジキの仕掛けをスターンクリートから流す。魚が掛からないかわりに海鳥が釣れたり、海藻が掛かったりと結構忙しい。

 吊るし網のブイが海の中に潜るように流れているのでGPSで対地スピードを見たら4 ノットである。残航をチャートで調べたら40マイルある。計算すると金津山の泊港に 入航時間が夜の8時頃になってしまうので、急遽八戸港に変更する。大きな港である 。

 翌日、金津山の泊港へ。航程が短いので早く出なくて良いのだが、眼が覚めてしまう。無理に寝ていてもと思い、出航する。ラジオを聞いていると伊豆の島で大きな地震が多く起きているようだ。

 下北半島の海岸線は平たくなだらかな半島である。六ヶ所村あたりから段々と山が高くなってきた。港を出てから帆走していたのだが、逆潮で思ったほど対地スピードが出ないので機帆走で走ることとする。

 海岸線も陸地もきれいに見える。右に伸びている山の先端が尻屋埼だろうか。泊港は港湾案内にも出てない小さな港だが、防波堤に灯台があるから大丈夫と思い入港した。

漁協の前に仮係留して事務所に行く。親切に教えてくれたので本係留をしてからビールを持ってお礼に行くと誰もいないので持ち帰って自分で飲んだ。4時頃になったらイカ船が戻ってきた。すさまじい数だ。


 8月4日。3時30分起床。4時30分出航。泊港から大間港へ。朝3時頃よりイカ船が出 航準備をしている。今日は曇りだが水平線のところの雲が切れている。日の出がきれいである。
朝日に向かい走る〈MIHO〉。泊港から下北半島北端の大間へ向かう
尻屋埼沖南10マイルでイルカに逢う。10数頭のイルカがめずらしいことに1箇所に集まり背ビレ尾ビレを見せていた。じゃれ合っているのだろうか。イカ船が、2〜30 隻漁をしている。その間を抜けて進む。相変わらず逆潮である。なかなか尻屋埼をか わせない。今度は尻屋埼の東5〜6マイル位の所に5〜60隻の船がある。こんなにイカを取っているのになぜスルメは高いのか不思議だ。
 尻屋埼とイカ船の間を抜け大間埼に進路を取ると反流がある。大間埼の手前より、反流が止まり、弁天島では2〜3ノットの逆流である。大回りして弁天島をかわし大間港へ入港。マグロ軽量所の横に係留する。
 
  翌日、大間港から函館港へ向かう。午前5時10分に出航。軽量所に手寄りが集まっている。あいさつをして朝食抜きで出航する。昨夜食堂に行ったら量が多く値段も安かった。大間はまぐろの1本釣りとコンブ漁が盛んなようである。昨日も朝にまぐろ100〜200キロ3本が釣れた。この外はブリとかメジまぐろが取れているようだ。


 追手の風が吹き、6ノットで帆走。函館山が雲をかぶり、すぐ近くに見える。順調に走り、函館山のブランケットに入ったので機走で入港する。金森倉庫の前にアンカーを打ちバウ着けで係留する。  ここは観光場所でヨットも1つの風景として係留を許されて、観光客が〈MIHO〉を バックに写真を撮っている。保留を終わってからヨット仲間であるチャートハウスの水野さんにあいさつに行き、今後の予定を話し、沖縄のみやげを渡して船に戻った。



雨が降っているのだろうか。山のほうは雨が降っているような雲行きである。
やはり北海道、朝は寒い。


函館港の金森倉庫前に停泊する〈MIHO〉。北海道一周に出港する
8月10日。北海道一周がはじまる。シングルハンドで回る予定であったが、妻が北 海道を見たいと飛行機で函館まで来たのでダブルハンドでの出航となった。

 外堤防を出て1時間、50cmのブリがヒットした妻は、魚が私を見ていると眼に布を掛け3枚におろしている。伊豆の三宅島が噴火したとラジオで放送があった。東京( 関東)のヨットマンたちは今年は伊豆七島に行くことが出来ないのではないかと心配してしまう。

 9時に青いハルのケッチ40と37フィートのスループと出会う。お互い安航を祈って手を振ってすれ違った。白神岬では東流のため遅々として進んでくれない。原因は海 岸線の景色を見たくて近づきすぎたのが失敗であった。都合40マイルを9時間かかって松前港に入港。

 松前城を見学後矢野旅館でお風呂に入り、すっきりして船に帰った。インターネッ トで明日の天気予報を見たら明け方まで雨との予報である。

 8月12日。例のごとく4時起床、松前港を5時出航。昨日前線が通過し、風が10m以上 雨がどしゃ降り。当然、出港中止で船内の片づけ清掃などをして過ごした。今日は昨日のことが嘘のように静かである。港外に出ても風は弱い。潮は逆潮1〜2ノット。小島と津軽半島がよく見える。

 小さなパンチングを繰り返しながら江差に向かう。連潮を期待しながらセーリングしていたが、逆潮のままであった。茶色の俵フェンダーだと遠くから見たら見えたのがマリーナ事務所であった。係留料1,100円、お風呂ひとり100円を支払い給水した。

 昨日パソコンの入力ミスを直していて疲れたせいか何も知らず4時までぐっすり寝れた。翌朝、台風9号が気になるので奥尻は止めて須築に向かうことにする。

 港を出て30分良い風が吹いているので帆走したらすぐに風が弱くなり、機帆走で走ることにする。良い天気である。また風が吹いてきた。陸風である。白波がだいぶ立っている。右手に見える山が連続してあると今度は海風。これは弱く機帆走する。山が切れると10m以上のアビ―ムである。陸風は強い。大きな黒い蝶々がたくさん海の上を飛んでいるし、海に落ちていたりもする。

 午後1時15分前、港口の灯台が見える。須築港へ無事入港。台船に横抱きする。持 主の事務所に行ったがお盆で誰もいなかった。1軒だけの旅館に行き、食事とお風呂 をお願いして船に戻った。携帯電話、BSテレビの電波が届かない港である。

 翌朝5時に出航。無風ウネリなし。機走6ノット、GPS6〜7ノット。少し連潮である 。7時頃よりクロスの風が吹き出し、10時ごろにはクォーターの風となり機帆走7.5ノ ットのスピードになった。

 最初、余別に入る予定だったが、神威岬を午後1時に通過したので美国港まで足を伸ばすことにした。神威岬でヨットとすれ違う。手を振って無事を祈った。そのころには風も止み機走で進む。3時半美国到着。港外に保安庁の船がいる。海水浴場、キャンプ場、スーパーなどがあり、良い泊地である。お盆でにぎやかである。

 8月15日。美国港から小樽マリーナに向かう。航程が短いので6時出港。海岸線の景色を見ながら機走する。午前9時30分小樽港に到着、商業港ですごく広い。港内をゆっくり見学し、係留場所などをチェックしながら進む。マリーナに到着し、書類を提出し、終わってから隣の石原裕次郎記念館を見学し市内観光に出掛けた。見る所はたくさんあるのだが、食材などを仕入れて明日出港することとする。

 翌朝、小樽マリーナを出航しようとしていたらオイルスキンを着たヨットが戻ってきた。雨が降っているのだろうか。山のほうは雨が降っているような雲行きである。やはり北海道、朝は寒い。キルティングのズボンと上衣を着て出港する。

 機帆走で雄冬岬まで来た。増毛を右に見ながら留萌に入港、遊覧船に横抱きしてどこに係留したら良いかと聞いたら明日もあさっても出ないからこのままで良いと言うのでお礼にビールとツマミを渡した。

焼尻港へ向かう途中、利尻富士のブランケットで風がなくなる
8月18日。いつもの通り、早朝5時出港。快晴。機帆走である。出港後1時間すると半焼尻が水平線に見えてきた。海ばかり見ているとつい眠くなってしまう。焼尻の右側に高い山が見える。たぶん利尻富士だろう。まだ遠い海の上なのにずいぶん近くに 見える。高い山だ。焼尻に午後1時半到着。水産加工工場の前に係留した。

 夕方、自転車で島内観光に出掛ける。あまり見る場所もないので船に帰って食事する。80歳位のおばあさんが来て話をしていたら、話をしてくれたお礼と言ってウニの塩漬けを持って来てくれた。息子たちが札幌に住んでいて来いと言うのだが私はここが良いという。住めば都とのこと。ウニのお礼に富良野で買った果物を渡す。

礼文島の上に雲があるが晴れている。
風が出て来て金田の岬の東側までセーリングできた


 翌日4時起床。カモメが鳴いているので外に出てみると島の人がエサをやっている 。カモメと人は仲良しである。聞けばウニ漁をしている人とのこと。5時になったらウニ漁をして良いか駄目かの放送があるとのこと。

 小さな船20数隻ある。5時に焼尻港を出港する。まだ放送はない。ウニ漁の人たちは、がっかりして家に帰っただろうか。アビ―ムで帆走する。東の風10〜12m位。窓を海水が洗っている。妻はキャビンで横になっている。10時30分ごろ利尻から来た船とすれ違い手を振り挨拶をする。同じ風で同じヒール角度で順調にセーリングしている。

 利尻の左側に礼丈島がはっきり見え、沓形港は烽、すぐだ。12時少し前、利尻の島の風が止んだ。エンジン始動。午後1時半に沓形へ到着。港へ着くと医者の先生が奥さんと来て色々なことを教えてくれた。明日もう1日利尻にいて観光しようと思う。 利尻島にはヘビ、キツネ、熊などは住んでいないようだ。

 8月21日。昨日夕方からのイベント“食うべえ、飲むべえ”に参加し、うに丼600円 生ビールジョッキ3杯1000円、ヤキウニ、ヤキホタテ、ヤキイカを格安の料金で腹一杯飲み食いし、島の人たちと話し、楽しい時間を過ごした。

 朝5時に沓形港を出港する。礼文島の上に雲があるが晴れている。風が出て来て金田の岬の東側までセーリングできた。大きく岬を回り船泊港だ。9時30分入港。

 ヨットがいる。無線で聞いていた長崎のヨット、楽楽(らくらく)の中山さんである。夕方、中山さんと漁師の佐々木さん、息子さん、その子供、木村さんと鎌田さん 漁協で働いている人たち2人がやってくる。中に入れない人はコクピットで宴会となった。2次会は佐々木さんの家に行き、奥さんの手作りの料理を戴き風呂にも入り、 明日島内観光に行くからと言われ出港を取り止め船に帰りグッスリ眠った。

 8月23日。出港準備をしていたら中山さんも起きてきて、今日稚内まで行くと言って出港して行った。自分たちはそれから朝食をとり、食器を洗って5時出港。宗谷港を目指した。最北端の場所である。晴れていれば北方領土が見えるとのことだが見えなかった。

 8月24日。宗谷港から枝幸港へ。食事の準備又出港の準備をしていたら、30隻位のホタテ漁の船が我先にと争うよう出港して行った。引き波が大きくて大変である。朝は晴れていたのだが、だんだん雲が陸側から流れて来て雨が降り出したが30分位ですぐ止んだ。

 ホタテ漁をしている船が集団で漁をしている。昨晩、礼文でいただいたホッケをチャンチャ焼きで食べたのだが、食べきれないのを電子レンジで温め、昼のおかずにして食べたらすごくうまかった。風がないので機走のみ。すごい連潮だ。

 12時に枝幸港へ到着。漁協に行った帰りにホタテ船に2、3個分けてくれないかと言ったら、手に持ちきれないほどくれてお金もいらないという。ホタテを持って船に帰る途中、今度はカラフトマスをいただいた。船にどうぞと招いたが遠慮していて入ってこない。仕方ないのでコクピットで話しをする。

 夕方、風呂に入るためホテル幸林へ自転車で行く。10分くらいの所にあった。


「航海記録2」へ続く
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